60年前に停止した日本の陪審制度と裁判員制度について−「生き証人」の三井明元刑事裁判官語る

60年前に停止した日本の陪審制度と裁判員制度について

−「生き証人」の三井明元刑事裁判官語る


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 三井明先生(元刑事裁判官、家庭裁判所裁判官、元日弁連子どもの権利委員会委員)が亡くなられてから三年余りが過ぎました(2005年11月30日ご逝去 享年96歳)。
 
 三井明先生への追悼文は、『子どもの人権研究会』会報46号(2006年6月、2〜10頁)に掲載されています。
 私と三井明先生との関わりについてや三井明先生の足跡などをまとめたものですので、是非お読み頂ければ幸いです。

 本文はこちらから→ http://yoshimine.main.jp/tsuitoubun-mitsui

 三井明先生は、戦前の陪審制の「生き証人」でありました。晩年は、裁判員制度の実現を間近にひかえ、各方面より取材を受けておられました。西日本新聞の記事は上記追悼文の中でもご紹介してありますが、ここでも以下引用したいと思います。

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2004年11月12日  西日本新聞朝刊

私たちが裁く 裁判員制に向けて 連載<1> 復活
「然らず」の教訓胸に― 市民の良識 判断助ける

■司法と市民■
 法律書で埋まった書棚から、その半生をたぐり寄せることができる。埼玉県川越市郊外の老人福祉施設。二間続きの個室に三井明は夫婦で暮らしていた。
 明治生まれの95歳。戦前の陪審裁判に立ち会い、市民が刑事被告人を裁く法廷を目の当たりにした数少ない生き証人である。判事、官僚、弁護士、そして市民として日本の司法の移り変わりを見てきた。
 「自ら葬った制度がよみがえるとは…」。60年以上前の決断に思いをはせた。
    ■   ■
 「諸君に申し上げる。被告人は涙を流すこともあるが、惑わされてはいけない」
 裁判長の呼びかけで審理が始まった。1934年、大阪地裁の陪審法廷。三井は司法試験合格後、研修生として傍聴していた。
 裁判官の横に二列に座る陪審員12人。羽織はかまや背広で身なりを整え、どの顔も緊張気味だった。
 保険金目当ての放火事件。検事の主張を被告は真っ向から否定した。双方の応酬に陪審員も割って入り、被告に借金額などを質問をした。三井は「意外にやるもんだ」と感心した。
 公判は三日間、ぶっ通し。陪審員は外部との接触を避けるため、法廷と専用宿舎を往復した。「相部屋のごろ寝で眠れない」。そうこぼす陪審員もいた。
 法廷を傍聴し続けた三井の心証は「黒」だった。検事の主張がもっともらしく聞こえた。
 「被告は放火したものやなりや」。結審の日、裁判長の問いに陪審員が答えた。「然(しか)らず(いいえ)」。「無罪」の判断に壇上の裁判官や検事が一瞬、こわばったように見えた。
    ■   ■
 日本で陪審制が始まったのは28年。重大事件の被告は陪審制か、裁判官だけの裁判かを選べた。が、発足2年目の143件をピークに陪審制の件数は減り続けた。
 放火事件初公判の1週間前、三井は意外な光景を見た。裁判長が法廷に被告と弁護士を呼び、陪審裁判を辞退するように切々と説いていた。
 「集中審理のため、事前に証人を決めたり、段取りが大変。嫌がる裁判官も少なくなかった」
 研修を終え三井は裁判官の道を選んだが、陪審裁判に出会ったのはその一回きりだった。
 思いがけなく陪審制にかかわるようになったのは任官6年目、司法省(現・法務省)刑事局に出向中のときだった。
 当時、陪審裁判は年わずか数件に落ち込んでいた。強まる戦火に予算は締め付けられ、局内は「廃止」論が台頭。一方、13年前に鳴り物いりで始めた新制度をやめる抵抗感もあった。
 三井が提案した。「法は残したまま施行を停止してはどうか」。43年、「陪審法の停止に関する法」が成立した。以来、陪審制は開かれていない。
    ■   ■
 三井は74年、東京高裁判事で定年退官した。その後も弁護士として90歳まで法廷に足を運んだ。裁くことの重責、怖さを体感してきた。
 地裁の裁判長時代、保険金目的に工場を放火したという被告の事件を担当した。「ろうそくを5本つなげて時限発火装置をつくりアリバイ工作をした」。この自白調書の信用性が争点だった。
 裁判官3人は内々に自分たちで同じ装置をつくって実験した。何度繰り返しても発火しなかったが結局、調書を証拠採用した。「想像でこんな具体的な供述はできるはずがない」。捜査を信じ込み、有罪を下した。しかし、最高裁は「調書は信用できない」と判決を覆し無罪が確定した。
 「なぜ実験で失敗した調書を疑わなかったのか。いつしか捜査への過信が染み付いていたのか」。「然らず」。そう言う人がそばにいたならば…。三井は悔恨の判決を胸に刻んでいる。
 陪審員が姿を消して60年余。封印された刑事法廷への「市民参加」は裁判員制で再び開かれる。「市民の常識は裁判官を助けてくれるはずだ」。三井はそう確信する。 (敬称略)
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 市民が被告を裁く。そんな時代が迫っている。2009年までに始まる裁判員制。有罪か無罪か、どれくらいの刑罰を下すべきなのか。法に素人の私たちが刑事被告人の命運を握る。人を裁くとは、そして裁かれるとは。司法改革の焦点である裁判員の源流をたどり、その課題を探った。
 (司法取材班)
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 ▼戦前の陪審制 弁護士らの要望を受けて欧米をモデルに導入した。陪審員はくじで選ばれた30歳以上の男性12人。多数決で有罪、無罪などを決め、裁判官に答申した。対象は、殺人、放火など「最高刑が死刑か無期懲役(禁固)」の罪で、通常の裁判を選ぶこともできた。「3年を超える懲役(禁固)」の罪も被告が求めれば実施できた。控訴できないが、陪審裁判の手続き違反などがあった場合は大審院に上告できた。14年間で484件実施され、無罪は17%の81件。裁判官が陪審員の判断を「不当」としてやり直させたのは24件。
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 ●ワードBOX=裁判員制
 司法制度改革の目玉として5月に国会で成立。殺人、放火、強盗致死傷などの重大事件の審理に3人の裁判官とともに参加、有罪・無罪と量刑を決める。裁判員は原則6人(4人のケースもある)で、選挙人名簿からくじで候補者を選び、その中から事件ごとに補充員を含めたメンバーを決める。高齢、病気など裁判官が認めた場合は辞退できる。日当や交通費が支給される。

 
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