ロースクール学生の『ぼくたちやってない』感想文

少年たちは1973年生まれ、私も1973年生まれです。
同じ年代に生まれているので、その時代の自分と重ね合わせて読ませていただきました。


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まず、3人ともいじめられ、信じる者が少なく毎日生きていくためには
強いものには迎合していかなければならなかったことが、
警察のいいなりに供述をしていくことに少なからず影響を与えたことに悲しみを感じました。

私も、小学校中学校と激しくは無かったのですが、いじめを受けた経験があります。
小学校5年生の時、少し太っており前歯が出ていて上唇がめくれていましたので
「うすらデブ」「出っ歯」「ビーバー」「たらこ唇」と毎日のように言葉の暴力を受けました。
ずっといじめを親に黙っていたのですが毎日毎日言われ続け、
耐えられなくなり母親に、「なんで産んだの」と泣きながら言い、泣かせたことがあります。
結局、中学に入ってから親に頼んで歯列矯正をしてもらいました。
未だに何てことを言ってしまったのだろうと思い出すたびに胸が痛みます。

中学では、不良グループに容貌で目をつけられたのと、
いじめられていた友人をかばったことから目を付けられて、暴力を受けました。
10年後の同窓会で、どうしていじめたのかと聞いたところ、
「他のやつは何か言うと黙ってしまうのに、お前は口答えしたから気に入らなかった」と言われました。
母の涙を見てから、自分は間違ってることには絶対に屈しないと心に決めました。
そのため不良グループに何か言われるたびに逆らい殴られました。
しかし中学校を無事卒業できたのは、信頼してくれる親友、
守ってくれる友達がいたことも大きな理由の一つです。

自分は、弱い者の側で生きていきたい、泣いている人の涙を少しでも減らしたいと思い
弁護士を志すようになったのも、この頃です。

いじめがもっと激しくて、親友の存在がなかったり、母を泣かせたりしなかったら
自分も、3人と同じように強い者に何を言われても逆らえずニコニコすることで自分を守るしか無く、
学校に行かなくなっていたかもしれません。
特に光次君は、刑事に殴られないように、どなられないように、
自分の供述に矛盾がないように無意識に供述を作っていき、
それに沿うように武志と彰が自白を強要されていきましたが、
3人のいじめられた経験が、大きく影響したように思います。
少年の生い立ちや、環境から少年を見つめていかなければならない大切さを痛感しました。

同時に、このような環境にある少年たちと信頼関係を築いていくのが
どれほど難しいものであるかを感じました。
特に、彰君が弁護団の2人が面会に行った時も、弁護士を刑事と思い、
すらすらと犯行を自供する姿にはショックを受けました。
警察で何を言っても信じてもらえず、暴力を受け、誰も信じられない状況で、
少年を信じ信頼関係を築いていかれた弁護団の活動には、頭が下がる思いです。
自分を信じてくれる人がいる、それがどんなに少年たちにとって心強かったであろうかと思います。
当初の代理人が、少年の自供を信じて少年の犯行を前提として活動していたかと思うとぞっといたします。
先生が弁護団を組まれ、少年を信じて活動なさったことが少年にとり本当に幸せだったと思うとともに、
弁護士の責任の重さ、使命を強く感じました。

次に、以前読ませていただいた先生の文章の中で、
「警察にはたまっている未解決の、迷宮入りしかかっている事件の大半を
少年におしつける傾向がある」とありました。
事件から2ヶ月、聞き込み2000世帯、2800人を超えたにもかかわらず捜査が暗礁に乗り上げ、
糸口を探そうと捜査が登校拒否をしておりアリバイの確実でない少年達に向けられたことに恐ろしさを感じました。
また捜査のベテランであるはずの警視庁捜査1課が指揮して、
少年が自殺未遂までしているのに自殺未遂の事実を都合良く書き換えたり
ここまでして冤罪を作り上げていくのかと怒りと共に大きな驚きを感じました。
警察は被害者の無念を晴らすために活動しているとどう好意的に見ても、
冤罪と分かっていながらも、警察の面子のために少年たちを犯人に仕立て上げたとしか考えられませんでした。

マスコミによって、事件が明るみになり、やってないのにやったものとして報道され、
週刊誌等でも勝手な記事が書かれたことと思います。
一般国民も幼い子供と母親が殺害されたということ、
少年たちが登校拒否児童であったためにやったであろうと被害者に同情し、
世論を敵に回した中で、少年たちの苦しみは言うに及びませんが、
偏見の目でみられ様々な嫌がらせに耐えてきた親御さんの苦しみはいかほどであったかと思います。
そして、そのような世論の中で弁護団の先生方もどれほど苦労なさったかと思います。
また、冤罪とされたにもかかわらず、「3人が犯人であることは間違いないと確信している」との
捜査1課長の談話は、少年、ご両親、弁護団の気持ちを逆なでするとともに、
いったんは犯人逮捕と安堵していた被害者のご遺族の行き場のない怒りと悲しみを増すものであり
強い憤りを感じました。

冤罪は、改めて関わった人全てに深い傷を残すものだということを強く思いました。
私は、本を読んでおりまして、弁護団の弁護士の皆さまがそれぞれ苦労をして弁護士になり
弁護団に加わられたことに感銘を受けました。
先生も警備員として苦労なされて弁護士となられ、他の先生方もそれぞれ苦労なされて弁護士となり、
少年事件に関わるようになった過程が書かれておりましたが、
一人一人の先生方に、「人を見る目の優しさ、暖かさ」「正義」を感じました。
また、「現場」というものを常に意識して実際に体験し、経験している姿勢を強く感じました。
人の苦しみや、悲しみを自分のこと、家族のことのように考え、
人を見る目の優しさ、暖かさに溢れた先生方がおられたからこそ、
正義を貫き冤罪をくい止められたと心から思っております。

大学生の時、社会との接点を持たずに勉強を続けていることに疑問を感じて、
自分のできることから始めようとボランティアをしようと思いました。
しかし、何をやったらよいのか分からずに、気持ちだけで時間が過ぎていきました。
阪神大震災があったとき、ちょうど大学3年生の期末試験が終わり、打ち上げで飲んでいました。
テレビには神戸の街が燃えている映像が映っているのに、飲み屋は満員で笑いに溢れていました。
何千人という人が亡くなっているのになぜみんな楽しそうに飲んでいるのか違和感を感じました。
そして、ボランティアに行こうと決心しましたが、なかなか実際に行く決心がつかずにいましたところ
先輩が、行って来たと報告してくれました。
結局、思っていても行動に移せないのは思っていないと同じと深く恥じて、
できることから始めようと杉並区のボランティアセンターを訪ね、
自閉症や筋ジストロフィーなどの子供達を親が引き取りに来るまで預かる団体を紹介されて
ボランティアを始めました。
須納瀬先生と同じような活動をしていました。
子供達と一緒に行動していると、苦しいとき何度も笑顔に助けられました。
弁護士になりたい思いは変っていませんでしたが、
改めて人に密着して活躍する、心温かな弁護士になりたいと思いました。
本を読んでおりまして、受験からすれば遠回りだったと思われるこういった経験も、
将来きっと役にたつ時がくるだろうと思い、大きな自身になりました。
また少年事件に、いじめられた経験とともに活かせるのではないかと感じました。
本を読み、普段考えないようなことも考えることができました。
非常に良い本を送っていただきましてありがとうございました。

2007年3月19日

北海道大学法科大学院 青井芳夫

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