情報公開について、大学教授の『本人訴訟』14年間の軌跡と成果!!(情報公開本人訴訟始末記)

情報公開について、
大学教授の『本人訴訟』14年間の軌跡と成果!!
情報公開本人訴訟始末記)


                                     2012年12月17日

 2012年12月8日(土)に行われた、『司法アクセス学会』(会長 小島武司)の第6回学術大会において、神戸大学法学研究科の馬場健一教授より、「パブリック・リーガルサーヴィスの担い手−行政訴訟を中心に−」とのテーマで、画期的で貴重な報告がなされました。
 「司法アクセス学会」の会員は、二百数十名で、弁護士、研究者などで構成されており、私も会員です。
 来年の第7回学術大会は、2013年10月7日(日)に、弁護士会館クレオで13時頃〜17時頃、開催される予定です。

 馬場健一教授よりご了承をいただきましたので、当日の馬場健一教授のご報告の資料を掲載いたします。

【司法アクセス学会・第6回学術大会】
2012年12月8日(土)

「司法アクセス・パラダイムの転換−求められる法的サーヴィスへ−」

13:00〜13:05  開会の辞−小島武司・司法アクセス学会会長
13:05〜14:30  〈テーマ機啻躪臻[Щ抉腓療達点と、残された課題
            ◆「総合法律支援の制度的課題」
                山本和彦氏(一橋大学教授)
            ◆「総合法律支援の6年−法テラスの直面する課題−」
                大川真郎氏(日本司法支援センター理事・弁護士)
             質疑応答
14:30〜15:00  休憩
(14:30〜14:50) 総会
15:00〜17:30  〈テーマ供咼僖屮螢奪・リーガルサーヴィスの今後を探る
            ◆「離島・地域のニーズと司法アクセス」
                樫村志郎氏(神戸大学教授)
            ◆「地域コミュニティの再建における法律専門家の役割
              −東日本大震災の被災地調査から−」
                飯 考行 氏(弘前大学准教授)
            ◆「スタッフ弁護士モデルの再編と新たな任務」
                池永知樹氏(弁護士)
            ◆「パブリック・リーガルサーヴィスの担い手
              −行政訴訟を中心に−」
                馬場健一(神戸大学教授)
17:30        終了



                    情報公開本人訴訟始末記

                                     馬場健一(神戸大学法学研究科)

はじめに
 ひょんなことから長期にわたって自分で裁判を手掛けることになった。きっかけは14年前、兵庫県の情報公開条例を使って、関心のあった公立学校での体罰事件の「事故報告書」(公立学校の先生が児童生徒に体罰を加えたことが明らかになった場合に校長が作成する始末書)の開示請求を県の教育委員会に行ったことに遡る。
 開示された県下の公立学校の事故報告書(年間数十件にのぼる)を見ると、教員の氏名、所属学校名、校長名がすべて非公開、加えて場合によっては教育委員会名や怪我の程度、事件に至った事情やその後の経緯、当事者の発言その他までもが黒塗りにされていた。プライバシー保護などが理由とされたが、個人の特定には至りそうもない部分まで広く非公開とされていると感じ、とりあえず手続も簡単で費用もかからない行政不服審査を申し立てみたたが、受け入れられなかった。さてどうしたものか・・・・
 自分の専門は「法社会学」といって、法と社会の関係を論じる社会科学である。講義では常日頃、「法治国の市民は必要なときには裁判利用をためらうべきではない。」「『法の支配』が日本社会に浸透するためにも、司法や法律家がもっと活用されねばならない。」などと自分の考えも述べてきた。こんな偉そうなことを学生には言いながら、いざ自分が法律問題に直面したら尻込みするのではしめしがつかない。裁判当事者になってみるのも良い勉強だろうとも考え、弁護士抜きの本人訴訟を提起することにした。
 ところで法学系の大学教員なら誰でも裁判くらい簡単にやれるのだろう、と思うのは大間違いである。自分も実務的なノウハウについては素人同然で、準備のためにまず読んだのが『はじめての本人訴訟』だの『お役所の正し方』だのといった一般向け書籍だったという始末であった。そういうわけで手探りで書面を作り、法廷にも毎回一人で出かけたのだが、対する被告側は弁護士が二人もつき、県の職員の方が何人も傍聴している。また裁判官も第一審から三人が関与する合議法廷で、どうも予想以上に大仰で面食らった。また原告席に座ってみると、裁判官の一言一言が強く重く響くことにも驚いた。圧倒的な存在感なのである。


第一次訴訟と第二次訴訟
 さて肝心の判決だが、最初の開示請求から五年後、提訴から三年後の2003年の第一審判決(神戸地判H15(2003)・1・17(裁判所ウェッブサイト(
http://www.courts.go.jp/))も、その翌年の控訴審判決(大阪高判H16(2004)・11・18(判例集不登載))も、残念ながらほぼ完全敗訴を喫した。最大の敗因は、こちらに極めて不利な、とある最高裁判例(最三小判平13(2001)・3・27(民集55巻2号530頁。判時1749号25頁))が壁となったことであった。その内容はごく簡単にいって、「プライバシー情報が載っている文書をどの範囲まで公開するかは行政がかなり自由に決めてよい。その場合、黒塗り部分の中に個人を特定できない部分があってもかまわない。」というものである。どういう理屈でこうした結論が出てくるのかはここでは書ききれないが、こういう判例を適用されたのでは勝ち目はない。そもそもこれでは情報公開制度の意義がほとんどなくなってしまうではないかと納得がいかず、最高裁自身どう考えるか知りたいとも思い上告した。
 最高裁の判決は何年も先になることも予想され、また仮にそこでも敗訴すればそれで終わりである。他方最高裁が判決を出す前に、もう一度同種の裁判を起こして判決を得ておけば、下級審レベルでは別の判断が出る可能性も残る。そこで次に上告後すぐ、あらためて開示請求した年度の新しい別の体罰事故報告書を対象に、第二次訴訟を神戸地裁に提起した。今回は前回の反省も踏まえ、特に非公開範囲の広い数件の文書を選び出し、「先の判決の論理だと、こんなに黒塗り部分が多いものもそのまま甘受しなければならないことになるが、裁判所はそれでよいと考えるのか?」などと問題提起した。
 結論的にいうとこの戦略が奏してというべきか、第二次訴訟の神戸地裁判決(2005年)は、学校名どころか、教員名まで公開せよという、こちらの主張を大きく認めたほぼ完全勝訴の逆転判決となった。ちなみに担当裁判官は先の第一審判決と共通(途中で一部交代)であり、裁判官が直近に出した自分の判決を間違いと認め改める、という異例の判決であった(そもそも第一回口頭弁論期日にいきなり、「前回とは結論を変えます」と宣言されたことも、極めて異例であった)。判決文に目を通してみて、予想以上の内容に驚き、にわかには信じられなかったことを覚えている。この判決は新聞各紙でも報道された。
 当然今度は被告の側が控訴したが、翌年に出た大阪高裁の控訴審判決もこの地裁判決の結論を大筋で支持し、さらに地裁判決がなお従っていた上記最高裁判例の本件への適用を、巧みな論法で回避までしたものであった。この控訴審を担当した裁判官は、第一次訴訟の高裁判決の裁判官とは別の方であったが、その判決内容のみならず訴訟運営なども素晴らしく感銘を受けた。なおこの高裁判決は、結論が地裁判決と同様だったため新聞記事にこそならなかったが、法律的に重要な論点を含むものとして、原審とあわせて詳細な解説付きで専門の判例雑誌に掲載された(大阪高判H18(2006)・12・22(判タ1254号132頁))。
 本件については被告の側がさらに上告。この時点ではなお第一次訴訟の上告審判決も出ておらず、最高裁には同一当事者の同種事件で結論が全く逆の二つの事案が同時に係属することとなった。当然どちらか一方の結論を支持し他方を誤りと判断するとばかり思っていたところ、2007年11月22日、最高裁第一小法廷は、第一次訴訟の上告も第二次訴訟の上告もどちらも理由がないとして、あろうことか同時に棄却してしまった。つまり当方が負けた判決と勝った判決の両方が同時に確定し、同種文書で非公開を大きく認めることも、それを大きく取り消すことも両方とも「あり」だと最高裁は判断したのである。(実際当方勝訴の第二次訴訟の対象文書だけ、その後学校名も教員名も開示された。)このこと自体珍事としてこれも新聞記事になった。神戸新聞など夕刊一面トップだったため、同僚の一人はそれを見て「ついに馬場が何か大きな不祥事を起こした!」と誤解し一瞬青ざめたそうである。
 法学入門の講義では三審制の機能のひとつに、「上級審が法的争点に決着をつけ判例を統一すること」があると教えるのだが、あえてそうしないこともあることを身をもって知った。良心的に解釈すれば、最高裁が高みから一方的に結論を出すことをせず、「下級審がもう少し自ら考えてみよ」とメッセージを発しているとも取れるが、これでは当事者の紛争は解決しない。新聞記事によると被告の県教委も「どうしろというのか!?」と困っているとのことであったが同感である。


第三次訴訟から現在まで
 仕切り直しの第三次の情報公開請求においては兵庫県情報公開審査会が2008年、体罰を行った教員名は非公開でよいが、学校名と校長名は公開せよとの、いわば第一次訴訟判決と第二次訴訟判決それぞれのあいだを取ったような答申を出した。ところが県教委はこの答申に従わず、学校名・校長名の公開さえ拒んで従来通りの部分公開を維持するという非妥協的な決定を行った。県教委が審査会答申に従わなかったのは、学校名や校長名の公開は重大であり、また司法判断も上記のように分かれている以上、審査会答申に従っても訴訟リスクは残るのだから、司法の場で自己の主張が認められることに賭けたということだろう。当方としてはここで答申に従ってくれれば、もういいかげん矛を収めてもいい頃合いか、などとも実は考えていたのだが、こう突っぱねられては引っ込みがつかず、2009年に第三次訴訟に至った。
 同種事案で3回目ともなれば、争点も証拠もほぼ出尽くしており、裁判の進行も早い。書面も以前に作ったものや以前にもらった判決を参考に書けるので、従来に比べれば楽ちんである。あれあれという間に結審し、翌2010年9月に第一審判決。神戸地裁は第二次訴訟同様、学校名・校長名に加えて教員名まで公開せよとした。県教委にとって先に突っぱねた審査会答申以上に厳しい内容になってしまい、まさに「やぶ蛇」の典型例である。県教委控訴。
 他方この第三次訴訟と平行し、さらに新年度の同種文書について第四次公開請求・行政不服審査も申立をしていた。自らの答申が突っぱねられた情報公開審査会がさらに同種の答申を出し続ければ、判決と並んで公開範囲を広げるためのさらなる圧力になり得る。実際審査会は、第三次訴訟の地裁判決のすぐあと2011年1月、やはり先の答申と同じ内容、すなわち学校名・校長名までは公開せよとの答申を出した。次いで翌2月には、第三次訴訟の高裁判決が、地裁判決から5ヶ月足らずで出され、結論は原審維持で教委側の完全敗訴。裁判所からも審査会からも立て続けに公開範囲の拡大を求められ、さすがにここに至って兵庫県教委は、体罰事故報告書の学校名・校長名までは公開することを決定・公表し、実際に公開も行った。このような公開は管見の限りでは都道府県では、埼玉、長崎、佐賀、鳥取に次いで全国5番目であり、関西では初めてである。また訴訟で争ってここまで至ったという例は全国初めてだと思う。
 ちなみに兵庫県教委が体罰報告書のこのような公開に踏み切ったため、この時点において県下の公立学校では、政令市の神戸市教委の管理下の学校のみが、同種文書で学校名・校長名が非公開となるという、飛び地のような事態が生じた。これに関して「県で一律公開されている情報が、市では一律非公開とされるのは不合理ではないか。裁判所の判断ともそぐわないのではないか。せめて学校名・校長名までは公開できないか。」と神戸市教委に申し入れて公開請求を行ったところ、原則そのような公開範囲の拡大が実現された。
 他方県教委は、一審二審で公開せよといわれた部分のうち、「加害教員の氏名」についてだけは、最高裁の判断を仰ぎたいとして、上告受理申立を行った(上告はせず)。しかしこれも本年6月結局不受理決定が出、ついに県教委はこの8月、保有する事故報告書の加害教師名の公開を決断した。知る限りでは都道府県のレベルでは鳥取だけであり、訴訟で争っての公開は全国で初めてだと思う(14年前の当該文書と現在のもの(教員氏名は当方の判断で消しておいた)を比較資料として添付する)。

現状と今後と一応のまとめ
 兵庫県下においてはこのようなかたちで一応の決着を見た(神戸市教委に対しても加害教員の名前の公開をさらに求めることも考えられるが、これだけを巡って争うのは筋が悪いと感じている)。そこで現在は関西の近隣都府県に射程を広げて、同種文書の公開を求めている。現在までのところ京都市は学校名・校長名まで公開に応じ、京都府も現在検討中との連絡をもらっている。他方で大阪府と大阪市は、学校名・校長名さえ非公開を維持しているので、現在不服審査を進めてもらっている。
 一連の経験を通じて、法や司法が一個人の主張を支持するときの力の大きさ(逆に言えばそれが支持されない場合の無力さ)を身をもって感じた。研究者として、また立憲民主制の法治国の主権者として、他に代え難い貴重な経験である。
 蛇足ながら、こうした活動自体はいまのところ研究業績としてはもちろんのこと、「研究者社会貢献」にさえならないようだが、関連して何本か論考も書くことができたし(馬場健一「行政はいかに法を学ぶか−情報公開問題からみた「法治行政」の現実と行政争訟の機能−」法社会学75号(2011年)187-206頁、同「法律学法実務との連携のための課題−ある情報公開最高裁判例を素材に−」法律時報83巻3号(2012年) 68-72頁、同「学校教育紛争における未成年児童・生徒の周縁化と抵抗−体罰事件の処理過程を素材に−」『法社会学』77号(2012年)65-87頁)、なにより面白いからちっともかまわない(終)。

●資料 
提訴時(1998年)と現在(2012年)の兵庫県の体罰事故報告書の例


 
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