賀川豊彦 「子どもの権利」「平和運動」「生活協同組合運動」など−かっての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物−

賀川豊彦

 「子どもの権利」「平和運動」「生活協同組合運動」など

−かっての日本に出たことはないし、
今後も再生産不可能と思われる人物−


 2010年4月10日(土)午後6時〜『弁政連』徳島支部設立総会が「ホテルクレメント徳島」において行われ、私も『弁政連』組織強化委員会委員長代行として出席しました。
 また、同日午後7時からは、設立祝賀会が開催され、仙谷由人国家戦略担当大臣をはじめとする国会議員や、飯泉嘉門徳島県知事など自治体首長、徳島県弁護士会所属の弁護士約30人など、合計約50人の方々が参加されました。

 翌日は、「鳴門市賀川豊彦記念館」を訪ねました。

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 「賀川豊彦」氏(1888−1960)の主な活動は次のとおりです。

【スラム入り】
 病苦による絶望の中で1909(明治42)年貧しい人々の救済事業に携わることで生きた証を立てようとして神戸のスラムに住み込む。生活条件の極度に悪いスラムでの救済活動の中で奇跡的に健康を回復し、ハル夫人と出会って1913(大正2)年に結婚。2人してスラムで悪戦苦闘する。

【アメリカ留学】
 1914(大正3)年スラムでの救済活動に限界を感じ、アメリカのプリンストン神学校・大学に留学。幅広い学問をし、アメリカのスラム見学や労働運動から示唆を得て1917(大正6)年帰国した。

【各種の社会活動を指導】
 帰国後”救貧から防貧へ”をスローガンとして労働運動、農民運動、普通選挙運動、生活協同組合運動などの先頭に立ち大正デモクラシーの機運を盛り上げた。

【ボランティア活動の創始】
 1923(大正12)年の関東大震災救済活動にいち早く駆けつけ、被害の大きかった東京本所にセツルメント(隣保活動の拠点)を作って奮闘。これを契機に生活の本拠を東京に移した。

【反ファシズム・平和運動】
 昭和初年には、反ファシズム・平和運動に挺身し、官憲に拘留されたこともあり活動が制限された。

【戦後の世界連邦国家運動】
 戦後占領軍司令長官マッカーサーからいち早く意見を求められ、食糧支援などを要請し、東久邇内閣の参与を務め、世界連邦国家運動を始めた。死に至るまでこの運動を続け、世界の著名人とともに世界の平和運動に貢献。1960(昭和35)年、ノーベル平和賞候補に推薦されたが、東京都世田谷区松沢の自宅で病没。享年72歳。

【業績】
 賀川らの活動により都市スラムは昭和初年に大いに改善され、貧しい人々や労働者・農民・女性等の権利は拡大され、彼の平和思想は世界の人々を啓発した。戦前戦後を通じて世界各地に招かれ、各国の人々に友愛・互助・平和の精神を説き感銘を与えた。生活協同組合運動は今日もコープこうべ・大学生協・農協共済などで実を結び、彼の資金提供によって多くの社会福祉施設や幼児教育施設がつくられ活動を続けている。

【21世紀の指針】
 賀川の提唱した友愛・互助・平和の精神は今なお混迷の現代社会に訴えかける力を持ち、21世紀を導く指導理念たり得ている。

【著書】
 自伝的小説「死線を超えて」は空前の大ベストセラーになった。その他小説「一粒の麦」「乳と蜜の流るる郷」、詩集「涙の二等分」、評論「精神運動と社会運動」「愛の科学」「宇宙の目的」等多数。「賀川豊彦全集」全24巻がある。



 賀川豊彦氏の行った事業は、関西、関東を始め全国に数多くの同志を組織して行われ、その運動は広範な規模において展開されました。

 東京にも、「賀川豊彦記念・松沢資料館」(東京都世田谷区上北沢3-8-19)や「財団法人本所賀川記念館」(東京都墨田区東駒形4-6-2)などがありますので、興味のある方は是非訪ねてみるとよいと思います。



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 また、賀川豊彦氏は、次の時代の人となる子どもたちにいつも大きな期待を寄せ、子ども達の権利を守り、教育を促進する活動に努めてきました。この活動が認められ、1999年12月、国連が採択した「子どもの権利条約」のもと、「子どもの最善の利益を守るリーダー」として、世界の52人の一人に選ばれています。

 以下、賀川豊彦氏が今から約90年近く前の1924(大正13)年、国連が「子どもの権利に関するジュネーブ宣言」をする前の6月に、東京深川の児童保護講演会で提唱した「子どもの”6つの権利”」及び1927(昭和2)年に『社会事業研究』に発表した「子どもの”9つの権利”」の解説をご紹介したいと思います。

 これらの資料は、「鳴門市賀川豊彦記念館」にご提供頂きました。私が訪れた際も、大変ご丁寧に対応して頂き、感謝しています。


 
【子供の6つの権利】

1 子供には食う権利がある

子供には種々権利がある。権利といへば非常に堅苦しい様であるが、今私が云う権利といふのは、学者達がいふ六ケ敷い(難しい)意味での権利ではない。また法律上の明文で明らかに認められたものではないのである。然しながら我々が社会生活を為すにつけては大きな意義のある重要なものである。
 先づ第一に子供には食べる権利がある。この世に生まれたのは早死したり、虐待されたりするためではない。普通の常識から考へても、生まれて来たものが幸福に、安全に、健全に、成長発達すべきものであると云ふことは、当然過ぎる程明らかなことで、一枝の花を見ても、之が踏み躙られたり、去られたりするのは不自然であることを知るのである。況や生まれて何の悪意も無い神の如き子供が虐待されたり、餓ゑたりすることは、不自然で、親は自分の生んだ子供が健全に成長するために、之に食物を供するの義務があり、子供は食ふ権利があるのである。
 東京市が、学齢栄養不良児に栄養食の供給をやて居るのも此の一端の現われたものである。従って親がどうしても子を養ふことが出来なければ、誰かが之に食を供する義務があり、子供は之を貰ふ権利があるのである。子供の保護は、種々の方面から考へることが出来るが、適当な食物を与へると云ふことは、先ず子供の要求することの出来る第一のものである。

2 子供には遊ぶ権利がある
 次に子供は遊ぶ権利がある。都会地では狭苦しい家に、大勢の人が一緒に生活して居って、室内で充分遊ぶことも出来ず、戸外へ出れは黄塵万丈そして頻繁な交通のために心を落付けて遊ぶ場所も無い。子供は道へ出て遊ぶなと親からも、学校からも注意されて、暗い家の中でジッとして居らなければならぬとすれば、子供は実に禍であると云はなければならない。このやうな状態では、快活な健康な子供の出来ないのは、当然と云はなければならない。
 曾て、米国のシカゴ市で、一時非常に不良少年が多くなったので、学者や市当局のものがそれを研究した結果、児童のため適当な遊び場所が無いことが、原因して居るのではあるまいかと云ふことが発見された。それで長さ数哩幅一里もある大きな公園を児童のために作ったのであるが、其結果は、不良少年が年々減少して、遂に数年の後には公園の設けられた前の約六割は減じたと云ふ。
 帝都復興計画の中に、主として児童のために、小公園を五十ばかり作ることが新聞に出てゐたが、善い計画であると思ふ。
 子供は充分な遊び場所を与へられた時には喜んで遊ぶ。其間不潔な思想も、行ひも起こり得る機会が少ないのである。然し子供を遊ばせるにも、充分の注意が払はれなければならない。遊び場が無いために、日曜日だとか休日には親は或は大森の海岸や活動写真を見に連れて行ったりする。大森の海岸に行くにしても途中は込んだ電車に乗せなければならぬので子供は汗ダクダクで漸く大森に着いた頃にはもう疲労と倦怠のために、喜びも快活もなく親に叱られながらぐんぐん引っぱられながら海岸まで連れて行かれる。親も子も疲れて了ふ。これでは子供は遊ばされるのか苦しめられているのか分からない。暑い一日を海岸で過ごしてもう帰る頃には、すっかり疲れ切って、翌日は一日休息しなければならぬと云ふおうなことになる。
 子供の喜ぶのは決して人込みの中にあるようなことでは無い。美しい大自然の中にあって、生まれてから持って居る活動慾を充分に、発揮せしめられることである。武蔵野の原野へでも行って、芝生の上で思ひきり歌ひ、思ひ切り遊ぶならば、子供は粗末な握り飯にも無限の喜びと感謝とを覚え、一日の運動によって、肉体の健全なる疲労を覚え嬉しく帰って来られるのである。子どもに遊ぶ権利を満足せしむるにも先づ親である。
 社会も国家も之に対して義務がある。都市は児童のために、適当なる遊び場を提供し、其運動を指導し、親も児童のための遊び場を充分に活用し、善用するやうに子供を指導して健全なる発達のために、特に意を用ふべきである。
 子供が日曜日などに、活動写真を見に連れて行かれて喜ぶのを見て、子供の権利がこれによって満足させられたと考へてはならない。大人の見る活動写真が、悉く子供によい影響を与へるとは限らない。中には恐るべきものがある。親は子供が肉体の健全なる発達を為すために其義務を尽くさねばならないと同様に、子供の思想の上に、徳育の上にも子供を、健全に育てあぐる義務がある。若し小学校に運動場が無いとなったら子供はどうなることであろう。我々には込み合った汽車や、電車の中で感づる不愉快さは、我々の仕事の上にも必ずや大なる影響があるに相違ない。子供もその通りで、運動場も無く、狭い教室や、廊下に多くの子供が活発な運動や遊戯が出来なければ、子供は必ずいたづらをしたり悪いことを考へたりする。最近益々増加せんとする都市の不良少年と、児童のその適当なる遊び場所とが如何なる関係があるかは判らぬが、シカゴで経験したことゝ同じことは、又日本の都市であり得ることである。子供は遊ぶ権利を有し、親又は社会はこの子供の権利を満足せしむべき義務を有する。

3 子供には寝る権利がある
 人は睡眠し得ないこと程疲労することはないのである。人間は休息して新たなる力を養ふために睡眠をとらなければならない。子供は大人よりも多くの間睡眠時間をとるものであるが、親の子供の育て方を知らないために、子供が睡くて睡くて仕方が無いときに、無理に子供を醒まして一層子供を疲労させるようなことをする。
 子供は自分の健全なる発達のために、睡眠を要求する権利をもって居るのである。同じ十銭出して食物を子供のために求むるならば、滋養あるものを得るために意を用ふへく、同じ子供を遊ばせるならば、子供を怪我させないやうに、安全に而ものびのびとして遊べるやうに親は意を用うへき筈である。又同じく子供の睡眠の権利を認むるならば、この権利を子供に充分に享有せしむるために、親は意を用ひなくてはならない。夜遅くまで酒を飲んで歌ったり、夫婦喧嘩をして騒いだりすることは、この子供の寝る権利を充分に認めて保護する所以ではないのである。出来得る限り道路の交通や、室内の談話から遠ざけて子供を安らかに寝かすべきである。

4 子供には叱られる権利がある
 次に子供には叱られる権利がある。悪いことをした場合には、当然叱られなければならない。何をしても叱られない子供は、我儘になって、手にも足にもおへない子供になって了ふのである。勿論叱ることと怒ることとは大変異ふのであって、叱ると云ふのは、子供のためを思ひ、之を愛して立派なものに仕上げんとするが故に、自分は少しも怒っていないが、子供のために、其悪を正し、不義を正すのである。所が、本当に子供を叱る人が少なくて、怒る人が多いのである。怒るのは、自分の感情が制し切れずに爆発するのである。子供は悪事をして叱られた時には、必ずすなほに、それを聴くが、親が自分に怒ってゐては、子供は決して親が自分を愛してゐるとは思はずに親から却って遠ざかって了ふのである。自分は子供を叱るときには誰もゐない一室に自分と子供と二人切りになって黙って、にらみっこをする。子供は黙ってジッとして居なければならぬこと程辛いことはないので、必ずそのしたことの悪いことに気付いて之を悔改めるものである。決して子供を無茶に擲ったり、叩いたりするべきものではない。これは子供を叱ってゐるのではなくて、自分が怒ってゐるのである。
 子供が健全に発達するためには、子供は悪は悪として訂正され、善は善として認められるべき権利を持って居るのである。隣の子供と自分のうちの子供と喧嘩でもした場合に、親は大抵自分の子供の方が正しいと思ひ、又悪い時でも勝手で少しも、それを充分に認めて叱る親は又之を叱る権利があるのである。善いことも、悪いことも勝手で、少しも叱られることも、正されることもない子供は、決して大切にされて居る子供でなくて、寧ろ虐待(さ)れて居る子供である。何となれば、その叱られる権利を充分に行使し得ず、又親は叱る義務を充分に果たさないからである。

5 子供には夫婦喧嘩をやめてもらう権利がある
 子供には、親に向かって、夫婦喧嘩をしないで下さいと要求する権利がある。夫は妻の、妻は夫の悪口を互いに言ひ合って、それが子供に何と響くか、これを見てゐる子供に、どう云ふ感化を及ぼすか、悪口罵倒の未遂に手当たり次第に投げ合ふことになると、子供は怖れて隅の方へ逃げ震へて泣き出すのである。
 家庭の不和は、常に冷かな空気を作り、愛情が無くなる。夫婦の間に愛が無くなると、子供にも愛がなくなり、そしてこのやうな家庭から子供は次第ゝゝに遠ざかって行くのである。たとへ家から出ないにしても、子供と親との間には、もう渡すことの出来ない溝が出来て、仲々取返すのに骨が折れるのである。夫婦が互いに相愛し、相尊敬してゐるとき、之を見た子供は必ず又尊敬するものである。夫婦仲よくして温い円満なる家庭を作ることは、親の子供に対する義務である。子供はこれを要求する権利を持って居るのである。

6 子供には禁酒を要求する権利がある
 子供は親に対して酒を飲まないで下さいと要求する権利を持ってゐる。日本では酒を飲むために、酒を造る税金が一億円を超してゐるのであって、酒のために費やす金は、約十二億円に達するものである。先年未丁年者禁酒法案が議会を通過して、子供は酒を飲むことができなくなったのであるが、大人は未だ勝手に飲むことが出来るのである。一日の仕事が終わって家に帰って、晩酌の酔が段々廻って来ると、気が荒くなって果ては乱暴を働く人があるが、その家の子供はヂジヂリ顫(ふる)へる。
 一体子供は好んで此世に生まれて来たのではないのに、このやうな親に酔払って乱暴されなければならぬと云ふのはどうしたことであるか。子供が生まれたのは健全に成長せんがため、幸福たらんため、健全な思想と道理とを与へられんためである。夫婦喧嘩と、酒を飲むことゝは果たしてこの目的を達する所以であらうか。子供は親に向かって酒を飲まないで下さいと云ふ権利があるのである。

(1924年6月9日 於東京深川猿江裏児童保護講話会)
「賀川豊彦全集第10巻」(キリスト新聞社刊)(150〜153頁)より


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【子どもの9つの権利】
1 生きる権利
2 食う権利
3 眠る権利
4 遊ぶ権利
5 指導してもらう権利
6 教育を受ける権利
7 虐待されない権利
8 親を選ぶ権利
9 人間・人格として待遇を受ける権利



 子どもには生きる権利がある
 賀川が、「子どもの権利」の第1に「生きる権利」を挙げたのは、大正末から昭和初年にかけての乳児の死亡率の高さの故である。1000人の出生に対して170人以上が死亡している。その原因として、母親の労働、家庭の収入不足、乳児への愛情不足、梅毒・アルコール依存症、乱暴な産児制限等を挙げている。「社会改造の根本原理は人間の生命の尊重といふことに帰する」と述べて、乳児の死亡率の高さは放置できないと強調している。労働者、農民をはじめ「国民全体の栄養問題、国民全体の収入の問題を解決しなければ、乳児の死亡率は下がらないと考えて居る」と、貧困を解決しなければ、この問題の解決はないと主張した。

 子どもには食う権利がある
 「子どもの権利」の第2に「食う権利」を挙げているのは、ヨーロッパ諸国ではすでに「小学校令」の中に「児童給食令」というものがあって、食物を与えるという法律と平行して義務教育が行われている事を指摘して、我国でも同様に行うべきだと主張するためである。貧困地域の小学校の児童の体格が、そうでない地域の小学校の児童の体格に比べて、1年程度遅れていることを指摘して、「食育」が重要であることを強調している。

 子どもには眠る権利がある
 「子どもの権利」の第3に、「眠る権利」を挙げたのは、スラム街・下層社会の子ども達の九分九厘までが寝不足であることを指摘するためである。それは2畳の部屋に9人も住んでいる例があったり、さらに夏には南京虫が出るためである。「南京虫がつらくて自殺したいくらいだ」という。これでは眠れなくて当然である。そういう地域の子ども達は、十分走るエネルギーもなくて、すぐに寝ころんでしまう。食事と同じく睡眠も子どもの健康のためには、極めて重要であることを強調している。

 子どもには遊ぶ権利がある
 賀川は、「子どもには遊ぶ権利があるのに、我が国の今日の状態では碌碌子供が遊ぶことも出来ない。公園がない、街路が危ない、家は狭い、これでは子供は一体どこで遊ぶのだろう」と指摘し、「日本で不良少年の殖(ふ)える原因は、遊ぶ機会がない、遊ぶ場所を与へられていないからである」と主張している。特にスラムの子どもは、遊ぶ広い場所もなければ、自然と触れ合う場所もなかった。いや、遊ぶどころか金儲けのために働く子も沢山いた。また、食べることにも不自由な子は、体力も弱く元気に遊ぶこともできなかった。

 賀川は4歳で両親を亡くし一人ぼっちになってしまった。神戸から現在の鳴門市の賀川家に引きとられてきた豊彦は、少年時代その寂しさを吹き飛ばすかのように、吉野川で思いきり遊んだ。自然の中で遊ぶことによって、豊彦はどれほど慰められたかしれなかった。自分のこのような体験からも、スラムの子どもたちと接し”遊ぶ権利”の必要性を痛感した。

 子どもは指導してもらう権利がある
 スラムでの生活は地域の生活環境が非常に悪く、夕方になると家族で食卓を囲み、家庭団欒(らん)が出来る環境ではなかった。定職を持たない両親は生活することが精一杯で、生活は荒れ、機嫌の悪いときは子どもに当たり散らし、子どもの心理を考えて指導することはなかった。そのような環境の中から非行に走る子どもが出ることを嘆いて賀川は、指導してもらう権利を主張した。

 子どもは教育を受ける権利がある
 大正11年には、全国923万人の児童の中で、約7万人は義務制の小学校に入学することができなかった。入学できた子どもも親の手伝いや食糧を稼ぐため、長期欠席することはまれでなかった。目の見えない、耳の聞こえないなどの子どもは、養護教育施設のできていない社会でほとんどが置き去りにされた。これらの原因は、単に個人の教育問題だけでなく、社会の貧困から来ている。日本から貧困をなくさなければ、子どもの教育を受ける権利は保障されない。賀川は置き去りにされた子どもの多数いることを嘆いて、幼児教育に特に力を傾けた。

 子どもには虐待されない権利がある
 賀川はスラムで子どもが虐待される実例を次のように上げている。

 1.ふとんが足りなくて体にかけられない
 2.酒呑みの親になぐられる
 3.親が賭博に入れ込んで妻子の面倒をみない
 4.親の収入が少なく子どもがスリに走る
 5.工場法で14歳以下が労働禁止となり、かえってお金に困りスリになる
 6.スラムや貧農の子が売春婦に売られる
 7.障害児を親や社会が虐待する
 8.病気になっても捨てておかれる
 9.無理解な親がすぐ子どもをなぐる

 貧困が子ども虐待の大きな原因であり、恐慌の時は子どもの虐待がふえると言う。
 英国には児童虐待防止法がつくられており、アメリカでは「女監察官」をスラムに派遣して虐待防止に努めていると言う。日本でもそれらの対策が必要であると主張している。

 子どもには親を選ぶ権利がある
 親が乱れた交際をして生まれて欲しくない子を生み、貰い子に出す。アルコール中毒や梅毒にかかった親が障害のある子どもを生む。これらの状況を見て、賀川は子どもには親を選ぶ権利があると言う。つらく悲しい条件を背負わされて生まれた子どもの立場に立った親への告発と言える。
 1900年にエレン・ケイは『児童の世紀』を著し、子どもが親を選ぶ権利を説き、「子どもはよく産んでもらうこと」や「よく育てられる権利」があると主張した。賀川も同じような考えから、この権利を提唱した。

 子どもには人間・人格としての待遇を受ける権利がある
 子どもだからといって軽くあしらうのではなく、一個の人間として尊ばれなくてはならないということである。
 子どもは子どもなりの意識があり、成長する力を持った次代を担う大切な存在である。
 したがって、これまで掲げてきたすべての権利を保障することが人格として待遇されることであるといえる。それだけに、この権利は、子どもの権利の総括としての意味を持つ。


【現代日本社会の子どもの権利−賀川の9か条に即して−】

(1)「生きる権利」
 現代では、乳児死亡率は世界でもトップクラスの低さである。ただ、最近の経済格差の拡大により、貧困家庭が増えつつあるのが心配である。

(2)「食う権利」
 現代では、むしろ「飽食」による問題の方が大きくなっている。また偏食や「孤食」、食品公害などの問題も生じている。

(3)「眠る権利」
 賀川の指摘した住宅事情や害虫による問題は解消している。だが、受験勉強のやりすぎ、ゲーム・テレビ・携帯電話の使用など、生活様式の変化による昼夜逆転現象から睡眠不足が起きている。

(4)「遊ぶ権利」
 この点は、むしろ賀川の時代より悪化している。当時は、地方都市や田舎には、子どもの遊べる所・自然はいくらでもあった。賀川は「自然から離れた教育は全て失敗する」と述べているが、現代の子どもたちは自然から遠く離れてしまっている。その結果、今の子どもたちは肉体的にも精神的にも様々なSOSを発信しているのに、大人たちは気付かないのである。

(5)「指導してもらう権利」
(6)「教育を受ける権利」
 賀川の時代は、大家族の家庭が多く、子どもを指導してくれる大人は沢山いた。両親のほかに、祖父母や叔父叔母、兄姉など、いつも子どもを指導した。さらに隣近所の大人や先輩も指導した。学校でも「教育勅語」などに基づいて、厳しく指導された。戦後は、アメリカ流の自由主義的・民主主義教育が採用され、子どもの人権を尊重する教育が行われるようになった。子どもへの指導も、子どもの自主性を重んじて、強圧的にならないように行われるようになった。しかし、自由と民主主義が正しく理解されずに、自由放任的・利己主義的傾向が強くなって様々な問題が生じている。日本が真の民主主義国になるためには、それを支える市民を育てなくてはならない。そのために、学校教育の中に「市民教育」という科目を設けて、民主主義社会の様々なルールやモラルを教える必要がある。また、現在の学校における受験勉強偏重主義を改めて、賀川の主張した自然の中の遊びや、読書重視の教育を取り入れて、バランスのとれた、教養のある市民を育てなくてはならない。

(7)「虐待されない権利」
 戦後しばらくは、子どもへの虐待は減少傾向を見せていたが、高度経済成長期以降の経済至上主義の高まりとともに、また増加に転じている。親が子を、老いた親を子が虐待する。学校のいじめも頻発している。人と人との交わりには「愛」が最も大切であるが、今は「欲」の方が優先されているのである。

(8)「親を選ぶ権利」
 戦前と違って社会の様々な規制が緩和されたために、子どもを産み育てる準備のない親が子どもを産む例が増えている。そこに様々な悲劇が生じる。自立した大人が、きちんとした結婚生活の中で子どもを産み育てることが大切である。

(9)「人間・人格として待遇を受ける権利」
 子どもの権利を総括したこの条項は今も有効である。これが十分に守られる、平和で民主的な社会を、我々市民全体が形成していかなくてはならない。

(「鳴門市賀川豊彦記念館」「NPO法人賀川記念館・鳴門友愛会」作成資料より)



 最後に、大宅壮一氏が、賀川豊彦氏について書かれた言葉を引用します。

「・・・かっての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物−、それは賀川豊彦先生である。」


 
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