国連の『女性差別撤廃委員会』の委員に 林 陽子 弁護士が就任されました!女たちの団結は、力強く、国境を越える!!

国連『女性差別撤廃委員会』の委員に

林 陽子 弁護士が就任されました!

女たちの団結は、力強く、国境を越える!!


2008年3月27日 投稿
2008年4月1日 更新
2008年4月3日 更新
2008年4月7日 更新


 大変嬉しいニュースです!

 この度、林 陽子 さん(弁護士、第二東京)が、国連の『女性差別撤廃委員会』(CEDAW・Committee on the Elimination of Discrimination against Women)の委員に就任され、ジュネーブでの委員就任宣誓式に出席されました。
 
 前任の齊賀富美子さん(現・国際刑事裁判所判事)の残りの任期である2010年12月までが任期となります。CEDAWの会合は年間3回予定されており、それ以外の期間は、今まで通り、弁護士業務〈アテナ法律事務所)を続けられます。国連の人権条約(自由権規約・社会権規約、女性、子ども、人種、拷問、障害者など8つある。)の委員会の委員に日本の弁護士が就任するのは初めてです

 林 陽子 さんは、「女性たちの平等・発展・平和に貢献ができるこの仕事にめぐり合わせたことを、幸いに思います。」「CEDAWの活動の成果を日本の裁判の中で活かせるよう、法律家として力を注ぎたい。」と決意を述べられています。また、「CEDAWでは、『日本の弁護士らしい』活動をしたいと思います。その真髄は、自国の政府から独立をしているということだと思います。」とも述べられています。林 陽子 さんの、ますますのご活躍を心から祈念しています。

 林 陽子 さん略歴は次の通りですが、一貫して「女性の権利」「人権」に多彩に取り組まれた彼女に対して、私なりの想いがあります。私は、林 陽子 さんに、日弁連・国際人権問題委員会の委員になっていただきたいと考え、委員会で発言したことがありました。

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【林 陽子 さん略歴】
 1979(昭和54)年 早稲田大学法学部卒業
 1980(昭和55)年 司法試験合格
 1983(昭和58)年 司法修習終了(35期)
 1983(昭和58)年 弁護士登録
 1987(昭和62)〜1988(昭和63)年 英国ケンブリッジ大学大学院留学
 1984(昭和59)年 日弁連・女性の権利委員会委員
 1989(平成元)年  日弁連・修習委員会幹事
 社団法人自由人権協会(JCLU)理事、女性法律家協会副会長、内閣府男女共同参画会議「女性に対する暴力専門調査会」委員、国連特別報告者、早稲田大学法科大学院教授などを務める。
 著書・訳書は、『働く女たちの裁判』(共著、学陽書房、1996年)、『注解女性差別撤廃条約』〈共著、国際女性の地位協会編、尚学社、1992年)、『女性への暴力・・・アメリカの文化人類学者が見た日本の家庭内暴力と人身売買』(共訳、シャーマン・バビオー著、明石書店、1996年)、『日本における差別と人権』〈共著、解放出版社、2002年)などがある。


 以下、何点か述べます。

1.女性NGOの連帯について
 この点について、林 陽子 さんは、「強姦などの女性に対する性暴力が戦争犯罪であることを認めさせるために、世界の女性NGOが連帯し、ICC(国際刑事裁判所)採択の過程でも熱心なロビー活動が続けられ、成果をもたらしている。」と書かれています(『自由と正義』2006年4月号75頁多谷千香子『民族浄化を裁く』2005年10月岩波新書の書評より)。

2.新しい世代の法律家たちのこと
 「司法改革によって大量に誕生する新しい世代の法律家には、日本国内での裁判のみならず、途上国に対する司法支援や国際分野での活動を担うことが不可避的に期待されている。」(同上)と書かれています。
 そのような思いもあり、早稲田大学法科大学院教授をされているのでしょう。学生も女性が増えていると思います。1940年に3人の女性弁護士が誕生し、今や弁護士約2万5000人のうち女性の弁護士は3千数百人となりました。検事や裁判官になる女性は、ますます増加しています。
 しかし、女性の権利に対する侵害には根深いものがあります。
 ヒラリー・クリントンが大統領になれないとしたら、「大統領には黒人なら良いが女性ならダメ」ということでしょうか?

3.故 田中フォックス敦子さんのこと
 北海道でアムネスティの活動をされた後、エセックス大学院を卒業され、卒業後直ちにIMADRジュネーブ事務所に就職されました。以来十数年に亘り、国連ジュネーブ本部に対するIMADR(反差別国際運動)の『顔』であり、質の高い情報を発信し続けた田中フォックス敦子さん(IMADRジュネーブ事務所ディレクター・国連代表)は、2007年8月27日、ジュネーブの病院で永眠されました(詳しくは、『部落解放』2007年11月号参照)。享年36歳でした。インドのカースト制に強い関心を持ち続けられました。2007年10月には、北海道で結婚式をされたグラハム・フォックスさんの参加のもと、松本治一郎記念会館で、『故 田中フォックス敦子さんを偲ぶ会』が、武者小路公秀IMADR−JC理事長や林 陽子 さん等の呼びかけで行われました。林 陽子 さんは、彼女のことを「純粋で真面目であり、大変な努力家でエネルギッシュ」などと追悼の辞を述べられました。
 私は「田中フォックス敦子さんのことは、本当にショックでした。病気のことは私も全く知りませんでした(親友の林 陽子 さんはもちろん良くご存じでした)。私にとっては、日弁連での接触(約1年前にも人権理事会について講演をして下さいました。講演後、弁護士会館地下の『桂』で食事を一緒に頂きながら、色々な話をしたのが最後でした。)や、ジュネーブでの第1回、第2回のCRC(Committee on the rights of the child)の審査の時などに色々とご指導してもらったことなど、本当に色々とお世話になりました。田中さんは、私に『自分がやってきたことについて、日本の国民・市民に分かり易い内容で本を書きたい』と仰っておられましたが、それも実現できず大変残念です。彼女の先進性、大衆性など、滅多にありえない人格・人間性だったと思います。ご冥福を心からお祈り致します。」との拙い追悼メッセージを送りました。
 また、平野裕二さん(※注2)は、「田中さんが闘病生活に入られるまでは、子どもの権利委員会の傍聴でジュネーブに行くたびに一度は食事をし、ワインを傾けながらいろいろと話をしたものでした。4歳違いの、ほぼ同世代の同志的存在がこんなにも早く逝ってしまったことに、ショックを抑えられません。本当に短すぎる人生でしたが、日本の国際人権運動を前進させるという意味では、故・久保田 洋 さんにも匹敵する足跡を残されたのではないかと思います。もう田中さん自身が新たな足跡を刻むことはありませんが、その熱い思いは決して冷めることなく、それぞれに受け継がれていくでしょう。昨年9月にも一度ディナーの約束をしたのですが、やはり体調が優れないとのことでキャンセルになってしまい、あのときお会いできていればと悔やまれます。まもなくまたジュネーブに行きますが、田中さんのお気に入りだった駅裏のフィリピン・レストランに足を運び、ビールでも痛飲しながらご冥福をお祈りしようと思います。」と述べられています。
 さらに、東澤 靖 さん(弁護士、日弁連・国際人権問題委員会副委員長 ※注3)は、「美しい言葉は出てきません。共にたたかった友が、あるいは一瞬でも思いを同じくしたと思える友が、去ってしまったとき、心にうずまくのはやり場のない絶望感です。そんなことが何度かあって、そのたびに自分の思いに誠実であったかと問いかけるのですが、もはや答えは返ってきません。残された者の責任。田中さんの身を削っての活躍や助けを思うたび、自分が信頼し、尊敬してきた友に捧げることのできる言葉は、それしか思い浮かびません。そして、そのように残された者の責任を果たす中で、彼女は自分の中によみがえるような気がします。田中さん、これからも一緒に、心の中で支えてください。」と述べられています。
 林 陽子 さんは、きっと今回の委員就任に際し、田中フォックス敦子さんのことを想われていたと思います。

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故 田中フォックス敦子さん


4.林 陽子 さんとJCLU(自由人権協会)
 林 陽子 さんは、JCLUの理事などをされ、私にも様々な配慮をして下さいました。
 例えば、『子どもの権利・人権』に関し、英文資料を英国の人権事務所で入手され、私に下さったこともありました。
 
5.1993年6月9日から6月25日には、『ウィーンの世界人権会議』が開催されました。『女性の権利は人権である』との標語は、この会議の象徴でもあり、そのポスターが張り巡らされ、フォーラムやイベントも女性の権利をテーマにしたものが多く、まるで『世界女性会議』のようだと思えるほどでした。参加者は、政府代表団約1800人(171カ国)、NGOから約3000人(約1000団体)、1763名の報道陣でした。
 この会議については、次の報告書などがあります。

(1)『自由と正義』(1993年11月号 4〜158頁)は、日弁連の参加者(※注5)の報告・資料などです。日弁連は、「従軍慰安婦問題に関するNGOワークショップ」での阿部三郎会長スピーチ(英語)など、諸活動を行いました。
 世界人権会議で採択された「ウィーン宣言及び行動計画(Vienna Declaration and Programme of Action)」は、同誌に掲載されています(日本語訳 山崎公士監修 自由人権協会訳 137〜153頁、原文 英語 A/CONF.157/23   12 July 1993、109〜136頁)が、国連文書の原文が『自由と正義』に掲載されたことは後にも先にもこれが初めてのことであり、この掲載は大変画期的なことであると私は思います。

(2)NGO(世界人権会議NGO連絡会、アムネスティ・インターナショナル日本支部、自由人権協会JCLU、市民外交センターなど16団体で構成)の報告書は、江橋崇監修『NGOが創る世界の人権−ウィーン宣言の使い方』(明石書店 1996年 298頁 特に「性的奴隷」107〜110頁、「女性の権利」123〜126頁など。)です。
 なお、この本の212〜245頁の上村英明「体験的国際会議参加の実践マニュアル」は、国際会議に参加するNGO向けのマニュアルとして、今でも役に立ちます。

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(3)市民向けの本などがいくつか出版されましたが、一つ紹介します。
吉峯啓晴(ひろはる)編著『基本的な人権六法』※注4(三五館 1995年 245頁 特に「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約・まず家庭から考え直すべき女性差別」81〜109頁、「ウィーン宣言及び行動計画・市民の力で人権の保障を」153〜210頁をご参照下さい。)

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6.私は、以前(1994年)、日弁連「国連・第4回世界女性会議(1995年、北京)」準備会事務局長を引き受けたことがありますが、「なぜ『子どもの権利』の彼が『女性の権利』をやるの?」と言われたことがあります。
 故 松井やよりさん(※注1)、中野麻美さん(弁護士、東京弁護士会、著書には『労働ダンピング−雇用の多様化の果てに−』岩波新書 2006年 など多数ある)、林 陽子 さんなど多くの尊敬する女性の方々に、大きな影響を受け続けたということが理由でした。

7.ドメスティック・バイオレンスについて
 この点については、私のブログのこちらの記事も是非ご覧下さい。
  → 「ドメスティック・バイオレンス(DV)とは? 『夫・パートナーからの暴力』は、『個人的な問題』ではなく『社会的な問題』です!」

8.日弁連の『男女共同参画施策基本大綱普及のための全国キャラバン』が、2008年3月28日、クレオAで開催されましたが、平山正剛前日弁連会長が野田聖子さん(衆議院議員)等と共にパネラーを務めました。平山正剛前会長!!この二年間ありがとうございました。平山前会長は出席された様々なシンポジウムには、最初から最後までフルの時間、参加されました。本当にありがとうございました。
 さて、日弁連には、『男女共同推進本部』が2007年に設置され、『男女共同参画施策大綱』(2007年4月)、『男女共同参画推進基本計画』(2008年3月)を制定しました。
 世界は今、女性と男性がともに気持ちよく働き生きる男女共同参画という人類共通の目的に向かって走り出しています。
 日本政府は、『2020年までに、指導的地位に占める女性の割合が少なくとも30%になるよう期待する』内容の、男女共同参画基本計画を、2005年に閣議決定しました。
 日本の管理的職業従事者に占める女性の割合は、10.1%(2005年)。日本のジェンダー・エンパワーメント指数(女性が政治及び経済活動に参加し、意思決定に参加できているかどうかを測る指数)は世界42位(2006年)です。フランスの弁護士に占める女性の割合は、48.7%(2006年)であり、日本弁護士連合会に占める女性会員の割合は14.4%(2007年)です。
(『Good balance Good life −女が元気な社会は、男も元気だ−』日弁連のパンフレットより)


※注1 元朝日新聞記者、2002年12月30日永眠。著書には、『女性解放とは何か』(未来社 1975年、283頁)、『女たちのアジア』〈岩波新書 1987年)、『市民と援助』(岩波新書、1990年)、『魂にふれるアジア』(朝日新聞社文庫 1992年)、『女たちがつくるアジア』(岩波新書、1996年)、『愛と怒り闘う勇気』(岩波書店、2003年、258頁、1800円+税)などがあり、共著には『女性国際戦犯法廷の全記録1.2』(緑風出版、2002年)などがある。

 
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故 松井 やよりさん 

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※注2 ARC、子どもの人権連、翻訳家。「ARC 平野裕二の子どもの権利・国際情報サイト」(http://homepage2.nifty.com/childrights/)をご参照下さい。平野裕二さんは、CRC(Committee on the rights of the child)の第1会期(1991年9月)から、これまで17年に亘り各国の審査をほぼ毎回傍聴されています。あらゆる人権条約の審査において、これほど傍聴を継続している人はおらず、世界新記録の快挙です!

※注3 国際刑事弁護士会(ICB=International Criminal Bar)理事、明治学院大学大学院教授。著書は『国際刑事裁判所 法と実務』(明石書店 2007年 3800円+税 400頁)など多数あり。『国際刑事裁判所 法と実務』については、佐藤安信さん(東京大学教授・弁護士)の書評(『自由と正義』2008年3月号95頁)をご参照下さい。

※注4 喜田村洋一さん(弁護士・第二東京)の書評(『自由と正義』1995年7月号155頁)では、この本について「筆者は『民主主義体制下の市民は、憲法、重要な条約、法律は原典を読むべき、読めばわかる。わからなければ条約や法律を変えるべきだ』との立場で本書を編集し、著したという。市民が必ず読むべき人権文書を収録しただけでなく、その具体的適用の場を追求した本書の狙いは十分に達成されているし、これによって本書は広く法律家以外の市民にも読みごたえのあるものとなった。」と評されています。

※注5 日弁連会長 阿部 三郎、同副会長 吉川 精一、同副会長 土田 嘉平、同事務総長 堀野 紀、同人権擁護委員会委員長 相良 勝美、戸塚 悦朗 弁護士(英国在住)、同人権擁護委員会委員 梓澤 和幸、同女性の権利に関する委員会副委員長 富岡 恵美子、同人権擁護委員会元委員長 山下 潔、同人権擁護委員会委員 喜田村 洋一、尾崎ゆかり(日弁連広報室職員)、当職(同子どもの権利委員会事務局長)が日弁連から参加しました。

 
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